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アトリエ訪問

芸術家と呼ばれる人々はどの様な場所で、どんな画材等を使用し、どういう風に作品を制作し、何を考えておられるのか―――
May, 2008

第32回 アトリエ訪問  高地秀明氏

 
      NPO、ひろしまインターネット美術館とは?
    平和都市広島を中心に、制作活動をされているアーチスト
    WEB上紹介をしています。
 
     プロフィール
 
  1978年  愛知県立芸術大学絵画科卒業
  1985年  二紀展出品(以後 連続入選)
  1987年  広島県美術展覧会 大賞受賞
  1995年  第49回二紀展(東京都美術館) 奨励賞受賞
  2000年  個展(天満屋福山店美術画廊)
  2002年  個展(ふくやま美術館)
  2005年  第59回二紀展(東京都美術館) 同人賞受賞
  2006年  個展(八千代の丘美術館)
  2006年  レカナーティ(イタリア)平和美術展
  2008年  第9回春季二紀展(東京都美術館) 選抜奨励賞受賞
  現在    二紀会同人、広島大学助教授
 
   「風に舞う木の葉、残された鳥たち、動いているもの、静かにそこにあるもの、時流を超えて存在する”もの”を見つめたい。」
       
  高地先生に導かれ訪れたアトリエは、松永カントリークラブに近い高地農園にある。父君が造られた広い農園は高台にあって、沢山の温室も今は休業中であるが木樹や草花、更には竹林などに囲まれている。広い芝生を占拠したテリア犬?と色とりどりのチューリップの花や芝桜が我々を出迎えてくれた。
 
  アトリエの玄関は芝刈り機や草木を手入れする道具が収納されていて出番を待っていた。奥のアトリエには大作が何枚も並べられていて、その一つが第9回春季二紀展に於いて選抜奨励賞を受賞したばかりの「風の記憶」で、この作品は当ギャラリーに展示中である。
そこで「風」「時の流れ」のテーマや「壁」「彫刻」「花」「木・葉」などのモチーフについて詳しくご説明頂き、なんとか作品の理解を深める事ができた。先生は紀元前より現在に至る2000年を越えた時の流れと、そしてその時空間の中で記憶に残り忘れ去ってしまいそうなもの、心に刻んだものを「風」や眼の前に存在するギリシャ彫刻の「アフロディーテ」や「花」「木・花」などに喩え、いかに心のキャンバス=壁にしっかり刻みこむか・・・そのイメージの表現に向け様々な挑戦を重ねていらっしゃるように受け止めた。
 
  先生の絵との出会いは中学時代に開かれた大阪万博だそうで、会場や新聞で見たダリの作品が特に強い興味を呼び起こされたそうだ。そして絵の道に進み、県立高校・広島大学付属中学・高校の美術教師を経て、現在は大学の准教授として入試制度の研究を兼ねながら、一貫して学生達が大人になっても文化・芸術を愛する心を持ち続けるよう絵の指導を続けられている。我々はそれが学校の芸術教育の本質ということを思い知らされた。確かに中学・高校から芸術の道を志す人は限られている。このような教育を受けた学生のなかで将来社会的に成功した人達は我々同様、必ず芸術家のサポーターになっていくことであろう。
 
 西洋の石の文化の存在感から受けた影響をどこまでもアナログである絵の世界に生かし続けながら、一方ではコンピューターグラフィックから3D、ネットワーク環境の活用まで先進的に IT 技術を取り込まてきたスキルの高さなど先生の多能ぶりは別のところでも学生達に大きな刺激を与えていることに違いない。
  <文・馬場/写真・原>
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
April, 2008

第31回 アトリエ訪問 石橋清氏

 
      NPO、ひろしまインターネット美術館とは?
    平和都市広島を中心に、制作活動をされているアーチスト
    WEB上紹介をしています。
 
     プロフィール
 
  1927年 広島市安佐南区緑井に生まれる
      
         福屋にて個展(12回)
         その他個展
  現 在  広島日展会会員、日洋会委員、広電文化教室講師
        中国新聞文化センター講師、祇園西・仁保公民館指導
 
      「風景を描くときは、自然の中に入っていく事。
      生かさせてもらっている自分に気づく感謝の時だ。」
 
  雨できれいに洗われた空気、大田川を遡る路沿いの、今も拡がりつつある街に石橋先生のアトリエがあった。制作中の大きな絵画、小さめのキャンバスに何枚も描かれているエスキース、壁際にうず高くつまれたスケッチブックのタワー。その中で明るく輝く目の先生が私たちを迎えて下さった。
 
  「楽しんで描く、一生懸命描きつづけると、自分でないものが見え、描ける瞬間がやってくる。」旺盛な制作意欲は 80 の齢をゆうに超えても衰えることがない。制作中の作品はすでに完成されたがのように私にはみえる。だが先生はまだまだ描きこんでいかれるという。
  「計画をもって、早くにとりかかり、全力投球しなければ余裕はできない。絵には心の余裕の成果が出てくる。」若い時分にデザインの仕事もしつつ、事業を起こした前向きな力強さは、絵を描く姿勢にもいきていらっしゃるようだ。
  旅先で自然に分け入り、ひたすらにキャンバスに描き止める。この繰り返しで先生は奥深い人生観を形作られたようだ。
「この世界で進化途中の木も草も、人や全ての生き物も、元はひとつ。星の元素をお互いに共有している仲間だと実感する。」見たままをそのまま描く事を通じて、先生の内に沁み入るような自然への感謝と描ける幸せが生成されている。そんなお話のなかに、絵描きとしての人生を謳歌されているように思えてきた。
 
  現場で描く事を重要視される先生の作品に、牛窓のオリーブ園がある。風に吹かれて葉の裏が白く輝く風情、陽光にあたためられた空気が画面の奥まで満ちている。絵を観る私たちも薫風を嗅ぎ、描かれた先生の幸福感を共有できる瞬間。狭い社会のブロックの一つのような自分も、人間の帳から解放される心地がした。
<文・泉尾/写真・原> 
March, 2008

第30回 アトリエ訪問 桜田知文氏

 
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   平和都市広島を中心に、制作活動をされているアーチスト
   WEB上で紹介をしています。 
    

  プロフィール

 

日展会友

広島日展会 委員

現代工芸美術家協会 本会員

現代工芸美術家協会 常任委員

日本鋳金家協会 中国・四国地区委員長

広島県工芸美術作家協会 理事

尾道大学芸術文化学部美術学科 准教授

 

 自然や自分の体験で得たものを再構築して

表現を試みている。

 

先生がお勤めの市立尾道大学は、新尾道駅から近く、周りを山と池に囲まれた瀟洒な建物だった。少し離れた小高い場所に体育館と並んで、まるで鋳物工場のごとき金工室がありそこが先生の工房であった。正直なところ大学の春休み初日に、前知識なくいきなり先生をお尋ねしたものだから、先生の「ご講義」で見聞したことを後日ホームページにて確認することになった。この美術館の工芸の頁にリンクされているが、先生のホームページ http://home.384.jp/sakurada/は手作りとは思えないほど充実している。工房の様子や、作品の製作工程も写真でしっかり知識を得られる上、過去の数々の受賞作品~例えば1993、1997洞爺村国際彫刻ビエンナーレお買い上げの「風のレクイエム」「BIRTH」や1995、2000、2004 日本現代工芸美術展の受賞作品なども見ることができる。

 

金工はアルミニウム、真鍮、銅、鉄、ブロンズなどを立体的に加工する設備や重量のある金属の塊を移動させるクレーンなど備えなければならないので、企業や公的な学校以外に個人が工房を持つ事はまずできないだろう。だから日本鋳金家協会のメンバーは全国でわずか100人余りだけで、特別な芸術の世界といった印象が強い。

鋳金が銅像や梵鐘、花器、置物、ジュエリーなど昔から美術品や工芸品をつくる技術だと再認識させていただいたが、先生の作品は発泡スチロールなどの発泡素材を原形とするフルモールド法や、歯科技工と同じ蝋を使ったロストワックス法をもとに試行錯誤を経て製作されている。そのお話をお聞きして自分が抱いていた現代美術品の概念となんとか合致させることができた。

尾道大学には文学や芸術を愛する学生が全国からどんどん集まるようになっていて、全国に向けた芸術・文化の情報発信基地のようになりつつあるが、ここがまさにその中心的な役割を担っている感さえある。

 

我々美術館ボランティアスタッフ5名は製作過程をしっかりお聞きしてから、次に本校のスタジオ設備のある部屋で、台に乗せた作品を回転させての3D撮影や超高画質撮影を行う間に、先生がお一人で何気なく木箱から取り出された数々の入賞作品を見せていただいた。我々はその重さに驚きながら、初めて3次元の世界にある工芸品の鑑賞法を学ぶことになった。それは30度~45度の角度から作品を鳥瞰的に見て、規範に縛られない作家の示す造形的なサイン、加工された金属の組み合わせや研磨などの工程、作家の持つ感情や思考など織り交ぜた心象表現などなどを如何に感じ取るかにあるように思えた。

 

撮影が終わると学生達の卒展が始まったということで、先生には桜坂にある市の美術館会場にもご同行いただいた。そこで、これから社会に旅立とうとする彼らが創作するジャンルの広さと可能性に目を奪われたが、尾道水道を見渡せる美術館のロケーションも素晴らしく、おかげで尾道の良さを改めて知るアトリエ訪問になった。

 

<文・馬場/写真・原>

 

 

 

 

February, 2008

第29回 アトリエ訪問 守長雄喜氏

 
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     プロフィール

 

1965年 岡崎勇次先生に師事

1966年 光風会展入選

      日展入選

2001年 日展特選

2003年 日展特選

現 在   光風会評議員

 

 正月気分が抜けない小春日和の中、安佐北のゆるい坂道を登りかけたところに、陽光を浴びた白い洋館の入り口に一際目立つ守長家の白い表札を見つけることができた。玄関横のアトリエに、先生自ら快く迎え入れていただき、そこで制作中のものを含め多くの作品にであうことになった。

先生は若かりし頃、県営住宅の4畳半の部屋で100号の絵までも描かれていたそうだが、大きな絵の搬出に大変な思いをされた経験から、まず出し入れを優先して現在のアトリエの設計をされたという。おかげで撮影班は苦もなく屋外に作品を持ち出し撮影にとりかかることができた。適切な光量を得ることにより、写真は色彩の諧調を忠実に再現することになる。光量さえ満たせば超高画質カメラは、油絵具のディテール、筆づかいの冴えを見逃すことがない。(注:左の写真とは別のもの)

 

先生は県内の山間部の農家で育ち、毎日静かな野山の中で、子供にとっては過酷な農作業のお手伝いに明け暮れたそうだが、中学のとき宮島への修学旅行で初めて海を見られたという。初めて海を目にした感動があまりに強烈だったため、もっぱら海とのかかわりをテーマにした作品が多い。「農村も漁村も(暮らしぶりは)一緒だが、漁村にはダイナミックさがある」ということから海と人の営みとのかかわりを念頭に、牡蠣打ち場の絵に取り組まれ、日展や光風会において高い評価を得られた。それ以降、技術系の専門職を定年まで勤める傍ら、牡蠣打ち場のシリーズを描き続けて数々の賞を獲得されている。途中、国内や中国山地を頻繁に巡回し海外の主要国を数多く訪れることがあっても、それ以外に強く突き動かされるものに出会うことはなかったようだ。

 

先生はもう70歳を過ぎたといわれるけれど10歳近く、むしろもっとお若く見えるのは、アートの世界において秀いでた先生方に共通することのようだ。それなのに教えるほうは中国新聞文化センターのみに限られていて、持てるエネルギーの殆どは絵の道を極めることに注がれている。

 

<文/馬場・写真/原>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

January, 2008

第28回 アトリエ訪問 住本弥綺子氏

 
     NPO、ひろしまインターネット美術館とは?
   平和都市広島を中心に、制作活動をされているアーチスト
   WEB上で紹介をしています。 
    

     プロフィール

 

 ・福原匠一先生とともに、碁阿弥赫工先生に学ぶ

 ・日本美術院 院友
  ・中国新聞文化センター 講師
  ・広島県日本画協会 理事
  ・彩遊会主宰

 

日本画の人物を中心に、今を生きる自分の心を写した作品、表現を目指しています。

 

トリエ訪問記も足掛け3年になる。記念すべき平成二十年一月度は女流日本画家の住本弥綺子氏である。いつもの事であるが、アトリエで大きな作品を目にして、直に作家の情熱や作品に纏わるお話を観聞きすることで、展覧会場で味わえない絵の迫力感じることができる。これが粗末な文章でもこのようなアトリエ訪問記を書き綴るエネルギーの根源となっている。
 
住本先生は花や風景画もさることながら「人」が好きだといわれる。舞妓や女性の人物画が多いが、人生をしっかり受け止めた女性に出会うと、何とかその方の人間性を引き出したい意欲が湧いてきて、筆が自然に活きてくるそうだ。
アトリエのアチコチに美術書でなく浅田次郎の「中原の虹」など小説や歴史書が沢山並んでいたが、描画の合間に、時を惜しんで小説を読まれているとのこと。おそらく、先生ご自身がイメージした人生物語に登場している主人公や脇役の姿に、心模様を重ねて描きだされているのかもしれないと、勝手な想像を巡らせてみた。
 
橋本町のビルの1階にあるアトリエは、先生にとっては仕事場であり、読書部屋であり生活から離れたレストルームでもある。太陽と喧嘩すると色が負けて強く塗りすぎてしまうために、そこは完全に光が遮断されている。昼夜の区別がつかないので、ふと気づくと14時間ブッ通しで描き続けていたこともあったそうだ。少女時代は日舞の道を目指されていたが、日舞の練習では「1時間が限界」ということとうらはらに、絵は時間を忘れさせるものであるらしい。この日舞の修行が3年間京都に通い描き続けられた舞妓の絵や座位や大道具、衣装、指物、振袖をどのように扱うかなどに生かされている。取材のために訪れたスペインで、ジプシーの踊り子の、どこか遠い世界を見ているような眼差しに魅せられ描き続けられたそうだ。
 
「絵の道は、子供が賽の河原で塔を作ろうと石をいつまでも積み上げるようなものだが、もし絵の世界と出会えていなければ何をしていただろうか・・・、日舞と同様に、こうやって好きな道を続けられるのはすべて母親のおかげ」という言葉が印象的であった。

<文/馬場・写真/原>

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