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アトリエ訪問芸術家と呼ばれる人々はどの様な場所で、どんな画材等を使用し、どういう風に作品を制作し、何を考えておられるのか―――
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August, 2008 第35回アトリエ訪問 吉井 章氏 NPO、ひろしまインターネット美術館とは?
平和都市広島を中心に、制作活動をされているアーチスト
WEB上紹介をしています。
夏休み前の暑い日、広島市立大学の芸術学部教授室をお訪ねした。この学部の学生達は贅沢な設備と選り抜きの教授陣に取り囲まれ、毎日芸術三昧でいられる資格を得た人たちなのなだなと年甲斐もなく羨ましさを感じていた。
押しかける側からすれば、普段の状態で十分なのに、1週間がかりで整理されたという。そのとき肩を痛められ学生達の応援を求められたそうで、大そう心苦しい思いがした。
吉井教授は、広島出身の父君が転勤されていた岡山市で生まれ小学生時代から広島人になられている。中学・高校生時代に芸術の先生から特別に目をかけられたそうで、設計技師志望を変更して当時合格率がなんと50倍を越えていた東京藝大に進学されている。難関を潜り抜ける前の3年間の浪人生活が根気を育み才能を開花させる下地になった模様で、そのときの人生を左右する良き出会いが支えになったようである。
大学卒業後、都の中学校の非常勤講師、新設の都立高校から、都立芸術高校の教師を歴任された後、現在の市立大学に招かれている。もし小説家またはシナリオライターがお話を聞いたら幾つもの面白いドラマになりそうな出会いや教え子との葛藤を経験されたようだ。そうしたなかで画学生の心を失わず取り組んだ制作のテーマでは、人物から自然のかたちや営みへと、オリジナリティを持って表現するための試行錯誤を重ねられている。
「(自分の)絵は単体で切り取り完結するものでなくエンドレスに続いている自然界の模様をつなぎ合わせている。かつての日本の巻物で描かれていたように、人生や自然界の場面や動きをつなげていくようなもの。」「自然界を見ていると丸・三角・四角形などでかたち作られているが五角形が最も面白い。」「生活観では和洋折衷を考える。油絵は西洋画であるものの、自分は和の世界にあって、これを抽象で表し色彩で整理したほうがはっきりする。」「自分にとっては知的な遊びや動きを意識するとどんなものが見えてくるか、純粋に自分が気に入るかどうかを見せていきたい。」など独自の美を生み出す作者ならではの奥深いエッセンスをお聞きした。
さらに、昨年(新しくできた)国立新美術館に出品する際、個人の持分はこれまでになく4mということなので、立ったまま描ける限界の高さにチャレンジし、左右に継ぎ足す絵を加えたものを創ってみたが、そうすることにより学生時代の絵に回帰したような気がするとおっしゃって、その時代の絵を見せていただいた。なるほど共通項はあるが違うような気もする。
抽象画の表現内容を作者にあれこれ問えることは日常にはなく素晴らしいことであるが、観るものがその絵から百人百様にいろんなシチュエーションを思い巡らせることもまた自分の世界を深く広く膨らませることができるものになるというのが私の結論であった。
<文・馬場宏二 写真・原敏昭>
July, 2008 第34回 アトリエ訪問 高山 博子氏 NPO、ひろしまインターネット美術館とは?
平和都市広島を中心に、制作活動をされているアーチスト
WEB上紹介をしています。
求めたのは生命の喜び。人間の魂を描くこと。
新たなスタートを迎えて、愛を与える感動を目指す。
プロフィール
1981年 大阪芸術大学美術科卒業
1985年 光風会初入選
1993年 日展初入選
この年より個展多数
現 在 光風会会友、広島日展会会員
中国新聞文化センター講師、広島美術研究所講師
大通りから一足はいった町並みは静か。涼しい微風が通るアトリエに、青いパンジャビで我々を迎え入れてくださった先生は、間近にせまった個展のためにずらりと壁面を飾っている絵の魂そのものに見える。絵から伝わる生命力から、第一印象は赤い作品が多いように感じたが、静謐な夜の中にも暖かさを感じる青や、人物の純粋な目の光を連想する衣の輝く色彩。そのハーモニーの中にいると、アトリエの空気はすぺての波長に満たされ、陽光の化生のようだった。
遠く遣唐使や遣隋使が立ち寄った鞆の浦にあるご実家は、今は平野屋資料館として訪れることができるが、父の里 古い文化にふれ、芸術や文化に関心の深い父の影響により、幼少のときから絵筆をとり、以来、画業から離れることがなかったとのこと。その間、子育てをされ、美術教師もされ、インドを何度も訪ね、日本の仏像に出会うための旅をされたりと、エネルギッシュな生き方をされている。
時につれてモチーフは鞆の浦の漁民から、群像やインドの民へと変遷しているが、一環して追い求められたのは生命の喜び。民の魂を描くこと。苦しみがあるからこそ昇華があり、生命の豊かさを味わうことができる。30年にわたるインドとの関わりで感じていたそうだ。
昨年は梅雨のインド(大変な季節)を経験された後、11月にデリーで世界平和仏舎利塔の落慶法要にダライラマとともに参加され、散華の花を浴びながら、「自分はこれまでの人生充分に生かされてきた。これからは芸術を通してインドにお返しをし、世界平和につながる何かの役にたちたい」との思いを強くもたれた。
その後、訪れられたシャンティニケタンのタゴール国際大学での出会いから、今年11月から客員教授として弁を執られる。銀座松屋の8月、そごうの10月と二つの個展を準備されながら、目下英語も勉強中とのこと。先生のあふれるエネルギーに、少々日常に疲れ気味の我々も、すっかり元気をいただいて帰ったのだった。
<文・泉尾祥子/写真・原敏昭> June, 2008 第33回 アトリエ訪問 掛田敬三氏 NPO、ひろしまインターネット美術館とは?
平和都市広島を中心に、制作活動をされているアーチスト
WEB上紹介をしています。
「人や草や木や石や雲や水やコンクリートや鉄や・・・・・・・・
みんな時間という風に曝されています。」
1954年 広島市に生まれる
1978年 新協展初出品
現 在 新協美術絵画部委員、広島県立観音高校教師 先生のアトリエは、大田川本流の本川沿いにあるマンションの1階にあった。此処の町名は、江戸時代に対岸の住吉町あたりを藩の船が出入りしていたことから「船入(ふないり)」と呼ばれ、のちに「舟入」と記されるようになったことが由来である。お住まいは同じマンションの2階であるが、ご実家が近くで、大きな絵の収納場所にもなっている。
訪問した日は金曜日で、勤務先の高校が振替え休日のためお会いできたが、通常日中にアトリエでお目にかかることはできない。従って創作時間は夕食を取り所用を済ました後の数時間に限られていて、展覧会用の大作を仕上げるためにはかなりの日数を要するとのこと。しかも広島カープに対する思い入れが強く、カープが負けた日はモチベーションが高まらないため絵筆は持たれないという。
奥中央に写真に納めた100号の絵が完成を待っていた。折しも所属されている新協美術展が開催されていて、「幾何学的に積み上げた緻密な絵」と地元紙に紹介されていたが、同じモチーフであった。数千の建物が一つずつ緻密に描き込まれた絵は、赤い夕日に染められた大都会の縮図のようでもあるが、建物の中には人々の喜怒哀楽が潜んでいて、ところどころに描かれた小さな輪がその叫びを象徴しているようだ。
横壁に数々の習作が並べられていたが、私はベニア板に長い髪の女性の横顔と「幾何学的に積み上げた緻密な絵」の一部を組み合わせた絵に魅せられた。なぜか憧れと郷愁を感じさせてくれるものだった。
先生からいろんなお話をお聞きするうちに「自然流」という印象が強く残った。だからこんなに丁寧で緻密な絵が描けるのではないかと・・・。世間一般の損得とか欲とか、そういうものには全く無縁で、肩肘張らず川辺の葦のような強さを持って社会や生徒さんと向き合っていらっしゃるように思えた。30年前の新協美術との出会いもそんな自然の成り行きなのだろう。自然流の生き方の中にこれから先どんな作品が生み出されるのか興味深い思いを持って面談を終えた。
〈文:馬場宏二 写真:原 敏昭〉
May, 2008 第32回 アトリエ訪問 高地秀明氏 NPO、ひろしまインターネット美術館とは?
平和都市広島を中心に、制作活動をされているアーチスト
WEB上紹介をしています。
プロフィール
1978年 愛知県立芸術大学絵画科卒業
1985年 二紀展出品(以後 連続入選) 1987年 広島県美術展覧会 大賞受賞 1995年 第49回二紀展(東京都美術館) 奨励賞受賞 2000年 個展(天満屋福山店美術画廊) 2002年 個展(ふくやま美術館) 2005年 第59回二紀展(東京都美術館) 同人賞受賞 2006年 個展(八千代の丘美術館) 2006年 レカナーティ(イタリア)平和美術展 2008年 第9回春季二紀展(東京都美術館) 選抜奨励賞受賞 現在 二紀会同人、広島大学助教授 「風に舞う木の葉、残された鳥たち、動いているもの、静かにそこにあるもの、時流を超えて存在する”もの”を見つめたい。」
高地先生に導かれ訪れたアトリエは、松永カントリークラブに近い高地農園にある。父君が造られた広い農園は高台にあって、沢山の温室も今は休業中であるが木樹や草花、更には竹林などに囲まれている。広い芝生を占拠したテリア犬?と色とりどりのチューリップの花や芝桜が我々を出迎えてくれた。
アトリエの玄関は芝刈り機や草木を手入れする道具が収納されていて出番を待っていた。奥のアトリエには大作が何枚も並べられていて、その一つが第9回春季二紀展に於いて選抜奨励賞を受賞したばかりの「風の記憶」で、この作品は当ギャラリーに展示中である。
そこで「風」「時の流れ」のテーマや「壁」「彫刻」「花」「木・葉」などのモチーフについて詳しくご説明頂き、なんとか作品の理解を深める事ができた。先生は紀元前より現在に至る2000年を越えた時の流れと、そしてその時空間の中で記憶に残り忘れ去ってしまいそうなもの、心に刻んだものを「風」や眼の前に存在するギリシャ彫刻の「アフロディーテ」や「花」「木・花」などに喩え、いかに心のキャンバス=壁にしっかり刻みこむか・・・そのイメージの表現に向け様々な挑戦を重ねていらっしゃるように受け止めた。
先生の絵との出会いは中学時代に開かれた大阪万博だそうで、会場や新聞で見たダリの作品が特に強い興味を呼び起こされたそうだ。そして絵の道に進み、県立高校・広島大学付属中学・高校の美術教師を経て、現在は大学の准教授として入試制度の研究を兼ねながら、一貫して学生達が大人になっても文化・芸術を愛する心を持ち続けるよう絵の指導を続けられている。我々はそれが学校の芸術教育の本質ということを思い知らされた。確かに中学・高校から芸術の道を志す人は限られている。このような教育を受けた学生のなかで将来社会的に成功した人達は我々同様、必ず芸術家のサポーターになっていくことであろう。
西洋の石の文化の存在感から受けた影響をどこまでもアナログである絵の世界に生かし続けながら、一方ではコンピューターグラフィックから3D、ネットワーク環境の活用まで先進的に IT 技術を取り込まてきたスキルの高さなど先生の多能ぶりは別のところでも学生達に大きな刺激を与えていることに違いない。
<文・馬場/写真・原>
April, 2008 第31回 アトリエ訪問 石橋清氏 NPO、ひろしまインターネット美術館とは?
平和都市広島を中心に、制作活動をされているアーチスト
WEB上紹介をしています。
プロフィール
1927年 広島市安佐南区緑井に生まれる
福屋にて個展(12回)
その他個展
現 在 広島日展会会員、日洋会委員、広電文化教室講師
中国新聞文化センター講師、祇園西・仁保公民館指導
「風景を描くときは、自然の中に入っていく事。
生かさせてもらっている自分に気づく感謝の時だ。」
雨できれいに洗われた空気、大田川を遡る路沿いの、今も拡がりつつある街に石橋先生のアトリエがあった。制作中の大きな絵画、小さめのキャンバスに何枚も描かれているエスキース、壁際にうず高くつまれたスケッチブックのタワー。その中で明るく輝く目の先生が私たちを迎えて下さった。
「楽しんで描く、一生懸命描きつづけると、自分でないものが見え、描ける瞬間がやってくる。」旺盛な制作意欲は 80 の齢をゆうに超えても衰えることがない。制作中の作品はすでに完成されたがのように私にはみえる。だが先生はまだまだ描きこんでいかれるという。
「計画をもって、早くにとりかかり、全力投球しなければ余裕はできない。絵には心の余裕の成果が出てくる。」若い時分にデザインの仕事もしつつ、事業を起こした前向きな力強さは、絵を描く姿勢にもいきていらっしゃるようだ。
旅先で自然に分け入り、ひたすらにキャンバスに描き止める。この繰り返しで先生は奥深い人生観を形作られたようだ。
「この世界で進化途中の木も草も、人や全ての生き物も、元はひとつ。星の元素をお互いに共有している仲間だと実感する。」見たままをそのまま描く事を通じて、先生の内に沁み入るような自然への感謝と描ける幸せが生成されている。そんなお話のなかに、絵描きとしての人生を謳歌されているように思えてきた。
現場で描く事を重要視される先生の作品に、牛窓のオリーブ園がある。風に吹かれて葉の裏が白く輝く風情、陽光にあたためられた空気が画面の奥まで満ちている。絵を観る私たちも薫風を嗅ぎ、描かれた先生の幸福感を共有できる瞬間。狭い社会のブロックの一つのような自分も、人間の帳から解放される心地がした。
<文・泉尾/写真・原>
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